デヴォーション

担当:K

「教会」
神の家というのは、生ける神の教会のことであって、それは真理の柱、真理の基礎なのである。
テモテへの第一の手紙 3:16

教会という存在について悩んだ時期がありました。
内村鑑三の無教会主義があります。教会とは神が創造した世界そのもののこと、シンボルの十字架がかたちとしては無くとも祈りは届くのである。
理解が正しいかは分かりませんが、祈ることに場所は絶対ではない、祈りたいと思う心があればそれは祈りであるとするような意味だと解釈していました。

もともと集団行動が得意でなく、一人でも聖書を読んだり、神様のことを考えることが大事じゃないかと極端な考えに走った時期がありました。

いまこの教会と出会い、奉仕という形で仕えさせて頂くことがあり自分の少ないながらも賜物も用いてもらえることがあることを感じます。誰かのために、神様のために行うことはこうも満たされるのかと改めて考えさせられました。

一人ひとりの持つ賜物は違いますが、それが用いられて喜びになり救いのきっかけになるのなら、やはり形としての教会も必要な場所なんだと思いました。

神様、このデボーションの時を感謝します。一人ひとりの健康を守り、クリスマスまでのあゆみも守ってくださいますように。一人ひとりに与えてくださっている導きと、これからも守ってくださる愛に感謝して、主イエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン!

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